救急病院

今度は息子の番でした。救急病院のお世話になったのは。

少し前から自転車で、友達がたくさんすんでいる隣町へ行くようになりました。
イタリアの道路事情はあまり自慢できるものではありません。

路肩がしっかりしていなかったり、白線が消えていたり、
側溝がちゃんとできていなくて少しの雨で道路が水浸しになってしまったり・・・
道路幅も狭くて、国道でも片道1車線のところが多いです。

それでも隣町まで片道7,8qのところですから13歳の男の子にいくなとは言えず、
暖かくもなってきたことだし、一昨日も学校が復活祭休日に入っていたので、
昼食後、自転車で出かけていきました。

3時少し前だったと思います。息子からの電話が入ったのは。
「僕、ぜんぜんなんともないんだけど、自転車で転んじゃって・・・」

すぐに聞きなれた友達のお母さんの声で、
「たいしたことはないんだけど、頭をぶつけたみたいなので念のために救急病院へ連れて行くからね。」

さらにその息子さん、つまり陽介のクラスメートがかわり、
またもや「たいしたことはないんだけど・・・」

「いまどこにいるの?」と私、 「救急病院。」 「えっ?」

私はまだ息子が転んだ直後で、みなが言うようにたいしたことがないのなら
救急病院へ連れて行くこともなかろうと思っていたのですが、すでにそこにいるという。
車を飛ばせば10分足らずの距離なので、あわてて着替えて飛び出しました。

救急病院についてみると、電話をくれたお母さんのほかにももう一人顔なじみのお母さん。
そのお母さんがいきなり 「顔が・・・」 そこで初めてドキッとしました。
「顔にひどい傷が付いてしまったのだろうか?」

中に入ると左腕に添え木をして包帯を巻き終えようとしているところでした。
顔は、右目の横をかなりすりむいていましたが、たいしたことはなさそうです。

頭から血が滴り落ちていたので、事故直後に陽介を見たお母さんは、
顔中血だらけになっていたので、ずいぶんびっくりしたようです。
その血もすでにふき取られていましたが、少しずつまだ流れていました。

思い切りの笑顔で 「なにやってんの。」 と話しかけると
「あーよかった、心臓麻痺おこさなくて。」と息子は苦笑い。

後でうちへ帰ってからゆっくり聞いたところでは、事故直後みんなが私に電話しようとしたのを
息子は必死で止めたそうです。
普段から喘息もちで、びっくりすると動悸が高まり呼吸困難になってしまうので・・・。

さて包帯も巻き終わり、必要な書類もできて、ところがそれから待つこと約4時間。
もちろんただ待っていたのではなくて先ずレントゲンを撮って、その映像ができるのを待ち、
その映像を担当の医師が見て、診察をして骨折部分をできるだけまっすぐに伸ばし、
さらにレントゲンを取り直してもう一度医師に見てもらい、
結局ギブスをはめるのは次の日ということで家に帰りました。

次の朝、ほとんど眠れなかった息子がソファでうとうとしていたので、
目が覚めるまでほおって置いて10時少し前に病院に着きました。

ところが担当の先生がちょうど別の救急の患者さんを看ていらしたので、待つこと約2時間。
やっとギブスをはめてもらったのですが、もう一度レントゲンを撮らなければならず、
その映像が出来上がるのを待ち、もう一度戻ったときには医師はいずこに・・。

みなに探してもらい(きっと昼食をとっていらしたのだと思います。時間が時間でしたから。)
診察を終えたのは1時40分頃でした。またしても4時間近くかかったわけです。

日本でもそうなのでしょうか。
病院というのはこうしてまたされるところなのでしょうか。

でも、あまり退屈はしませんでした。
息子も大きくなり、じっと待つことにさほど文句も言いません。

そして、今回は入院病棟での診察だったので、
救急窓口とは違いいろんな小さなドラマを見ることができたからです。

医長のところへ製薬会社のセールスマンがやってきたり、
正規のルートでは時間がかかりすぎるので懇意な人からの紹介で特別に見てもらう人がいたり、
入院中の人たちが廊下でリハビリをしていたり、
看護婦さんたちが医長の悪口を言い合っていたり・・・・

きっと日本でも同じでしょうね、ところ変われど人間社会のできごとは。

             Keiko