地球の怒り、神の怒り

 

かつて、Assisiという町を地震が襲ったとき、サン・フランチェスコの怒りではないかと思った。

清貧を甘んじ、自然と一体となり、祈りの生活を送ったサン・フランチェスコのために立てられた教会は、
彼の意思とは全く趣を異にしている。

彼が祈りをささげたポウチンクラという祠はさらに大きな教会で多い尽くされ、
まるでカトレアの花がプラスチックの箱に入れられてお店に並んでいるような光景だ。

しかも来る者を拒まずといっていた教会が、観光客からのお布施を強要するようになってしまった。
サン・フランチェスコに準じたいはずの修道士がお客を見てお布施の額を決めるようになっていた。

そういうことへのサン・フランチェスコの怒りが地震という形で現れたのではないかと思ったものだ。

今回のインドシナ地域の前代未聞の海底地震とそれに伴う津波の被害で、
同胞でありながら宗教の違いで戦い続けていた人たちに
何らかの示唆を与える意味があるのではないかと思ってしまう。

あるいは、貧しい人たちをないがしろにしたまま高級ホテルや商店が表通りに立ち並び、
ごく表面だけの繁栄や享楽を享受していた人たちへの教訓として、
こういうことが起こったのではないかと思ってしまう。

だとすれば、そういう教訓を与えたいところは世界中にもっとたくさんあるにはあるが・・・

あのニューヨークのツインタワーが破壊されたあと、ニューヨ-カーたちが
すっかり変わってしまったという記事を読んだことがある。

エリート意識の強いクールで他人のことなんかお構いなしだったニューヨーカー達が、
他人に声を掛け合い、何か困っている人には手を貸そうとするようになったと。

人は、より大きな災難にあって初めて気づくことがある。
共通の苦しみを味わうことで人と分かり合えることがある。

これまでのところ日本人の被害の状況はこちらでは報道されていないけれど、
おそらくたくさんの日本人もいたはずだ。
ヨーロッパではドイツ人が一番数が多かったといわれているし、
北欧や、イタリアからもたくさんの観光客が行っていた。

29日夜現在、約600名のイタリア人の行方がわからないということだ。

大金をばら撒いていた観光客も、彼らにかしづいていた地元で働く人々も
みんな一緒に亡くなった。
そして、同じように布にくるまれて葬られている。

 

インド洋上の小さな島は地図上から抹殺されてしまったということだ。
また、島々を取り巻き、大波から島を守っていたさんご礁が破壊されてしまい、
これからは危険にさらされる度合いが増えるだろうという。

地球が自分自身の身を削りながらも、
われわれ人類に、何かを訴えようとしているのではないかと思えてならない。

 

こういう大きなニュースを聞くとそれまでのことが薄れてしまいがちだけれど、
お正月を目の前にして、寂しい思いをしておられる新潟の地震被災者の方々をも、
大切に思ってあげて頂きたい。

 

2004年は戦争が続く中、天災で幕を閉じた。
これ以上事態が悪化することはむつかしかろうが、
2005年はもう少し楽しいニュースが聞ける年であってほしい。

皆様のご壮健を祈りつつ2004年最後の配信とさせていただきます。

遠いイタリアから同胞の日本の皆様へ。         Keiko

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