<イタリアに住むきっかけ>

 

偉大なのにさりげなく、美しいのに庶民的、
とことん明るくって、ふっとやさしい。

そんなローマにもちろん主人も一目ぼれ。
役者をしていた主人はそのころ少しいきずまっていました。
少し彼に磨きをかけてもらおうと、ローマで生活することを提案したのは、
帰国後すぐにだったと記憶しています。

運良く人づてにローマ在住の方を紹介してもらい、
お金をためたり、言葉の勉強をしたりして、
1年後にかれはローマへと旅立ちました。

あのころはどんどん観光客が増えていたので、
彼も程なくガイドの仕事をするようになりました。

電話代はばか高いし、インターネットはなかったし、
毎日のように手紙を書きました。
筆不精の彼からはついに1通も帰ってきませんでしたが・・・

さらに1年後、準備が整ったのでお前も来いということになり、
そのころモデルをしていた私は、戻ったらまた始められる仕事だったし、
ファッションの国イタリアで2,3年暮らすことは大いにプラスになるだろうと、
なんの憂いもなく出発しました。


ところが着いてみると、アパートを明け渡すといっていた日本人の気が変わり、
われわれは宿無し草になってしまいました。
親切な友人が狭い自分のアパートにいそうろうさせてくれましたが、
もし、日本国内での出来事だったら我慢できなかったでしょう。

そのころはまだ、映画のワンシーンを見ているような気分ですごしていたので、
何とか乗り切れたのではないかと思います。


よく歩きました。
公共的な乗り物がごく少ないこともありますが、
街がきれいだと知らぬ間にどんどん歩いてしまうものなんですね。

ここで言うきれいとは調和が取れているという意味です。
道路には犬の落っことしものがやたらにあって気をつけねばなりません。


この後、私はいったん帰国して姑の元で暮らすことになります。
そのときに日本ではきものの制作という願ってもない仕事にめぐり合うことができ、
毎朝5時半起きで西陣に通い、終電で帰宅することもしばしば、
不意に出張を命じられることもありました。
以外にも男の世界だったきもの業界で、意地になって働きました。

ただ、そういう私の生活ぶりを誤解した姑や義妹の言葉で
ただでさえはなれて暮らしている主人との間に亀裂が入り、
その亀裂はローマに戻ってからも修復できずに終わります。

一心不乱に働いた私のことを会社が認めてくれ、
keikoブランドが生まれようとしていたときに、
ローマにいた主人が交通事故にあい、たいした怪我はなかったけれど、
頭を強く打ったので心配だという連絡で、
前日まで仕事をし、その着物姿のままでローマ行きの飛行機に乗り込みました。

再びローマに住むようになって程なく、私にもガイドの仕事が回ってきました。
まだ、何も分からない私に仕事を頼むほうも頼むほうなら、
受けてしまった私も向こう見ずだったと思います。

でも、ガイドというよりすこーし余分にイタリアのことを知っているという
親戚のお姉さんのような感覚で、親身にご案内したのが良かったのか、
その後もエージェントからは仕事が途切れることがありませんでした。

日本で、役者の主人を抱えて生活のために仕事を強いられていた私は、
イタリアでこそ羽を伸ばしたいと思っていたのに・・・

主人もがんばり屋だったので、仕事に追われ、そこそこの収入を得て、
母親への仕送りをかかさずにできるのを喜んでいた頃、
ある日、ぽつんと一言  「もう役者は辞めようかなぁ。」
その言葉と共に11年間の彼との生活が音を立てて崩れて行ったような気がします。


そんな折、仕事で知り合ったのが今の主人Paoloです。
それまでにもたくさんのイタリア人と仕事を一緒にしましたが、
誰一人、異性として意識したことがなかったのに
Paoloに関しては、お客さんたちが
「今日の運転手さんは素敵ね。」といってるのを耳にし、
なんとなく気になり始めました。


縁というものでしょう。
11年間恋焦がれ続けていた元の主人にふと嫌気がさしたその瞬間に、
別の人が目に入ったのは・・・

当初、Paoloは仕事上の先輩として、先生として価値ある人でした。
又、私を自分の生活圏へ、家族や友達の輪の中へ引張って行ってくれたので、
それまで、ローマに住みながらも日本人とばかり接し、
休日には日本食レストランで食事をするような生活だったのが、
一気にイタリア漬けになってしまい、結果として
それまでの1年余りで覚えたイタリア語の数倍を1,2ヶ月で習得したわけです。


11月13日の金曜日にはじめて仕事を一緒にして、
2月にヴィザの関係でいったん帰国した後は、
つまり、翌年の3月からはPaoloとの生活が始まりました。

「行くところがないのなら、1週間くらいならうちに来てもいいよ。」
といってくれたPaoloのところへ移り住んだまま現在に至ります。


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個人的な話にお付き合いさせてすみませんでした。
でも、ちょっとほっとした気分です。

何のトリックもない、ただ自分の人生に従っただけで、
イタリアとは何か縁があって今こうして住んでいるだけです。

コンピューター好きのPaoloからもらったお古のマシーンで、
まねごとのインターネットのナヴィゲーションで出会った「まぐまぐ」。

そこでメルマガを発行するようになって知り合った皆さん。
その皆さんに自分の過渡期、を語ったことでより距離が縮まったような気がします。



           <Keiko>  


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