Happy birthday to me

 

Paoloと暮らすようになって初めてのわたしの誕生日には、

中古だけどその頃一番エレガントだったMercedesのSEシリーズのオフホワイトの車を買いました。

もちろんそれは自分達の贅沢のためではなくてPaoloの仕事に必要なアイテムだったからです。

でも、図らずも引き取った日が私の誕生日で、Paoloはその日の日記に

「Atarasii kurumao katta、kyouwa Keiko no tanjoubi kara。」

(新しい車を買った、今日はKeikoの誕生日(だ)から。)と書いています。

人の日記を読むものじゃないけれど、誘惑に負けて読んでしまった私。

うれしくて泣けた日を思い出します。

 

その後、しばらくは喧嘩の絶えないときもありました。

休日といえば遊んでばかりいた時期もありました。

やがて父となり母となって・・・

今の家に引っ越したときもちょうど秋でした。

Paoloの強い要望でこの家の名義人は私になっています。

そこで、この家に引越しをした年の誕生日のプレゼントがこの家ということになっています。

 

昔はよく花を買ってきてくれました。

ひと頃はイヤリングが続きました。

いつも誕生日や女性のお祭りや母の日に、私に何をプレゼントしていいか悩んでいる

Paoloのために、思い切ってピアスにしたのです。

普通のイヤリングではつけて5分もすると頭痛がしていたので。

 

でもそれさえもつけなくなって、田舎暮らしが板についてきて

お互い、そういう記念日を忘れがちになってきました。

 

今朝、起き抜けに「あっ明日だ、君の誕生日!今年は何が欲しいの?車・それとも新しいうち?」

起きぬけでもこんな冗談を飛ばすわが相棒です。

10時ごろ仕事先から電話がありました。

昔は、イタリア生活になれない私を思って、あるいは携帯のない時代には故意に電話をしないと

心配だったからでしょうか、ちょくちょく電話が入ったものでしたが、

最近は用があればこちらからかけることもできるし、

丸一日Paoloがどこにいるのかさえ知らないで過ごしています。

 

ただ最近、私が医者に係りいろいろな身体検査をしていて、

土曜日に、新たな検査に放射線を使った検査が必要だということになったので、

いささか心配してくれているようです。

かつては、自分の母親だけが体の不調を訴えてもいい存在だと思っているような彼でした。

私が調子が悪いというと、どこがどう悪いのかと問いただし、

半ば信じていないかのような扱いを受けたこともありましたが、年をとったのですね、お互いに。

 

今朝の電話は、「なんてことはないんだけど。どうしてるかと思って。」

しかも受話器を取ったときは2階に上がったばかりで少し動機を打っていたので、

「どうしたの?息が荒いけど・・・」と心配してくれていました。

 

彼のこの気遣いが、私にとっては何よりもの今年の誕生日のプレゼントです。

Buon compleanno per me.

ごめんなさい、またこんな個人的な話に付き合せてしまいました。

 

                     Keiko


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